【空気】と【水を差す】
昨日終戦記念日でした
善悪を論じる気はさらさらございませんが
ただ
ただ
戦に負けるとはこういうことなんだと
歴史に想いを馳せながら
昨日【いわゆる】終戦記念日を迎え、感じてる次第でございます
この日から何を学ぶか?
大切なのはそこだと想います
僕の爺ちゃんは実はそれなりに名の通った寿司職人でした
戦中は戦地に行かずに軍部に料理を教えていたそうです
記憶はないですが、夫婦喧嘩をするときだけは、気の強い婆ちゃんから、「あんたは戦争に行ってないんだから」
と爺ちゃんはよく言われていたと父が話していました
当時の価値観がなんなのかわかりませんが、寿司を作って、料理を教えて、それでいて、情けないと言われていた時代からすると、本当に、今は平和になりましたね
山本七平の【空気の研究】という本があります
当時の日本の【空気】がなんとなく理解でき、この国の【空気】と真っ向から向き合っている名著でございます
この、【空気】について、ネタバレしないように、気をつけながら語っていきたいと思います
唐突ですが、僕の顧客様で【モヒカンの中学生】がいます
彼はモヒカンです
ちょっとやちょっとのモヒカンではなく、ガチモヒカンです
勘違いしないで欲しいのはいわゆる非行少年などでは決してなく、自由な校風の学校へ通い、英語は堪能、感性なども鋭く、僕と映画の話や将来ヘアデザイナーになりたい夢、技法についてなど、話題は尽きません
【空気】を読める【オトコ】であると同時にきちんと【主張】をする【オトコ】でもあります
好きなものは好き、嫌いなものは嫌い
ヘアスタイルも生き方も、とてもハッキリしています
毎度、話していると年齢の差を忘れているくらいです
【空気の研究】によると
【空気】を読まずに【ハッキリ】と相手に伝えるということが、この本の中では【空気】に【水を差す】という表現で語られております
(仮に)当時、僕の婆ちゃんの考えのような【空気】が
全体を占めていたのだとしたら
どれだけの人が【水を差す】ことが出来ていたのでしょうか
誰かが、
【人に料理を教えてあなたの主人は立派じゃないの!!】って言っていたら、
婆ちゃんは少しは爺ちゃんに対する考えも変わっていたのか、
本当のことはわかりません(記憶は無いが、頑固っぽい)
ただ、アナタはこうかも知れないけど、自分はこう思うよって言い合えることを否定してしまうと、それは、極論言えば戦争なわけで
中学生の彼のように、大人と話ができ、大人の話を聞けて、理解をしようと歩み寄り、その上で自分の考えをきちんと言葉でも、生き方でも体現できているのはまさに僕の目指すところなわけです。
【空気】が意思決定を持った時、【空気】が人間を支配したとき
【なんとなく】【空気がそうだったから】
案外物事ってそんな風に決められてることが実は多くて
イジメも、犯罪も、
ノリとか【空気】が十分動機となりえるわけで、
時と場合によっては、(笑いやライブも)ノリとか【空気】がもっとも大切な瞬間もあるわけで、
何が言いたいかというと
流されそうになった時は、【水を差せる】人間でありたいなと思った(それがリスクが高かろうとそう信じるのであれば)
そんな終戦記念日の翌日でございました
柴田