修平の平成

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2019.04.30/Tue
コラム 日々のこと

 
そうですねぇ僕が平成を意識したのは、生まれが昭和61年なので、【昭和61年?ほぼ平成じゃん】って大人達が言うもんで、「ほう、そういうもんなのか」って感じで認識したもんです。
 
 


 

平成2年にスーパーファミコンが発売されて、まぁつまり僕が4歳とかなわけだけど、僕にとっては平成の初期はゲームばっかりやったなーって感じです。
 
 
平成 4年には6歳、7歳になってて家族でマリオカートをやってましたね。ストIIとか。
 
 
平成6年(94年)にはもうプレステ、セガサターンが出るもんでね。アークザラッドやパラッパラッパー発売は少し先だね
 
 
そっか、スーファミ発売から4年後にはもうプレステ発売してんだね、でもまだまだスーファミ人気はあったと思う。スーパーマリオRPGとかドラクエ6とかは95年だもんなー。
 
 

平成8年(96年)にはたまごっちやポケモン、64も発売だって
 
 

この頃は僕も10歳なわけで、プリクラとかロンバケとかそういう時代、おまけに夕方18時台には【エヴァ】も放映されてて本当にカオスな時代
 
 
平成10年(98年)になるとドリームキャストが話題。になるも、パッとしない感じで失速でもグランディアとかナイツとかは好きだった
 
 
この頃のプレステはFFはもちろん、リンダキューブアゲインとか、俺の屍を越えてゆけ、鈴木爆発、せがれいじり、とかちょいとマニア向けのゲームが多くて一番やり込んだな
 
 
平成12年になると(00年)プレステ2とか発売になるわけでしてこの辺りになると、ゲーセンに入り浸ってました。CAPCOM系はほぼ網羅してます
 
 
平成14年(02年)になると、僕は美容学校に行っちゃったんで、まぁ金ないんでゲームは控えめにレトロゲー中心でしたね。スパロボとかめっちゃやってました
 
 
平成16年(04年)はゲームどころじゃなかったです美容漬けですねw全くやってなかったんじゃないかなー。クラブに通いまくってましたからw
 
 
18年は(06年)原宿でモデル探しばっかやってました。中田ヤスタカブーム到来でキラキラしてましたね。渋谷、原宿、代官山で遊んでました。ファッションに目覚めたのはこの頃です。19歳くらいの時ですね
 
 
20年(08年)はiPhone出てきますからねぇもうこの辺くると早いっす。この辺は激動過ぎて、なんならスタイリストになって美容漬けでゲームは全くしてません。映画と音楽しか興味が無かったです。(ゲーム基準に話しが進む)
 
 

22年(10年)は拠点を中央線に移して、フリーランス美容室(業務委託サロン)の雇われ店長で仕事に追われまくって忙しさマックス!23歳で月収70万とか超えておりまして、勘違い野郎時代です。ゲームはプレステ3とか買うけどまったくやらないとかそういう感じ。ソフトも買うけどやらないとか開封しないとかそういうレベル
 
 
24年(12年)震災後、もう完全にゲームはやらなくなっちゃったなー。カットも3000円代から5000円代に上がってきて、美容師としてのレベルも上がってきて、安売り店店長の勘違い感を徐々に無くなってきました
 
 
26年(14)所属していたサロンの組織内の政治色が段々と強くなり独立を考えたのもこの頃。ゲームは逆にスマホゲーばかり。
 
 
28年(16年)仲間と共に阿佐ヶ谷3349を設立。遊ぶ余裕などないw
 
 
30年(18年)安定してきて、飲食店やったりも出来てきて、余裕が出たのかプレステ4、switch、の人気タイトルはほぼ網羅。
 
 
とまぁ、ゲームでざっくり振り返りましたが、今日母から電話があって、平成元号発表時に
 
 
父が「修【平】の時代がくる」と喜んでいたとわざわざ連絡をくれまして、そういえば、平成の平と修平の平は一緒だわと、生まれて初めて意識しました。
 
 
小さい頃からなんか守られてる感覚はこれのせいなのでしょうか。
 
 
ただもう、後、数時間で終わるわけでw
 
 
平の字はありませんが【令和】も柴田修平の時代でありたいと思います。
 
 
柴田

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